ナショナリズムという迷宮

非常にいい知的刺激を受けた。しばらくいろいろと勉強してから、また読み返したい。

魚住:まず議論の前提として思想とは何かという話からはじめましょう。私の中にはとても浅薄だけど拭いがたい疑念があります。それはいくら思想、思想と言っても、戦前の左翼のように苛烈な弾圧にあえばすぐ転向しちゃうのじゃないかということです。特に私のように臆病な人間がいくら思想をうんぬんしたところで仕方がないんじゃないかと。
佐藤:魚住さんがおっしゃる「思想」というのは、正確には「対抗思想」なんですよ。
魚住:どういうこと?
佐藤:いま、コーヒーを飲んでますよね。いくらでしたか?200円払いましたよね。この、コイン二枚でコーヒーが買えることに疑念を持たないことが「思想」なんです。そんなもの思想だなんて考えてもいない、当たり前だと思っていることこそ「思想」で、普段私たちが思想、思想と口にしているのは「対抗思想」です。護憲運動は反戦運動にしても、それらは全部「対抗思想」なんです。(P23)

国家や貨幣という人ならぬものに人間が押さえつけられることを彼は嫌いました。ユダヤ教の本来の伝統でいう偶像だと。人間が人間の作ったものに仕えるというのは偶像崇拝で、最も悪いことだと。だから国家に究極価値をおいてはいけないんだと考えたんですね。何より大事なのは個々の関係性の積み重ねです。そのなかには神との関係もあります。関係性が「すべて」だということを身をもって示しました。(P32)

善悪の知識の木の実を食べたふたりは、自分たちが裸だということに気付いて、イチジクの葉をつづりあわせて腰を覆います。その日、エデンの園に神様がやってきました。足音を聞いたふたりは隠れます。神様は「あんたら何をしてるんだ。あれを食べたのか?」と。男のほうは、「女に言われて食った」と女のせいにするわけです。女は「蛇がだましたので、食べました」と。
神様はびっくりしました。「食ったか?」と聞かれたら、「食べました」「食べてません」と答えればいい。なのにこいつら平気で嘘をついたり、話をねじまげたりすると。自分に似せてつくったはずなのに、とんでもないものをつくってしまったと。責任を取ろうとしない、人に言われた話を勝手に膨らます、この構造の中に「原罪」を見るわけです。

(中略)

「原罪」とは何か。ひとことで言うと、人間は「嘘をつく性向がもともとある」「嘘つき動物」だということになるでしょう。(P39)

はじめに、何もないところに「有情の業」 – 生命の力といったらいいでしょう – が働きます。すると、すーっと風が起きてきます。ひゅるひゅる吹いている上に、水の塊ができてくるんです。その塊の上に温めた牛乳に張るような膜ができます。その膜はやがて固くなって金属の板のようになる。これを金輪というんです。「金輪際つきあわない」、なんていいますよね。これは宇宙の切れ目を意味します。その金輪の上に海ができて、その中に月まで届くような高い山ができます。これがシュメール山、須弥山なんです。その南に三角の土地ができてほかに丸いのと四角いのと、三日月型の土地ができます。(P58)

魚住:その仏教的な世界観では、時間はどのようなものなのですか?
佐藤:時間は円環を描くものとしてとらえられています。暦の発想がそうです – 元日、春のお彼岸、夏至、秋のお彼岸、冬至 – 毎年繰り返してきますよね。(P59)

佐藤:ユダヤ・キリスト教的な時間概念、つまり西欧的な時間は「直線」なんです。始まりがあって終わりがある。終末をギリシャ語で「テロス」と言います。これには「終わり」のほか、「目的」「完成」という三つの概念が含まれていて、区別ができません。終わりに向かって進んでいるということは、必然的に目的を伴い、それゆえなんらかの完成があるという発想なんです。
魚住:意志的というか、あいまいさが許されそうにない時間概念ですね。
佐藤:そう言えるでしょう。直線的な時間は二つに分かれます。時間の秒針が動くように刻々と経っていくような時間軸を「クロノス」と言います。対して、”タイミングがいい、タイミングが悪い”こんな感覚を「カイロス」と言います。同じ一日でも、例えば、運命の人との出会いがあって、その後結婚した。その「出会い」は、ある人の人生にとっては重大なことですから、クロノスで計れる時間ではなく、カイロスなんですね。

(中略)

クロノスの上で私たちは泳いでいるようにみえますが、時々カイロスの介入があって、断絶するんですよ。その断絶が「出来事」です。カイロスの断片と言ってもいい。それをつなぎあわせたものが「歴史」だと考えます。ユダヤ・キリスト教では、カイロスとカイロスの間、中間時に住んでいるという感覚なんです。(P65~66)

佐藤:資本主義国家における生活保護や年金制度、医療保険、義務教育の無償化、税制面での優遇などはそもそも社会主義の発想でしょ。
魚住:ああ、そうか。
佐藤:社会主義陣営に対抗するための施策という面があります。極言すれば革命を起こさせないための国民に配る飴ですよ。しかし東西冷戦が終わり、共産主義陣営の驚異はなくなりましたね。もはや資本主義社会において手厚い福祉政策はやめたっていいわけです。(P87~88)

インドのカーストによる厳しい身分制度のもとでは、イエスが馬小屋で誕生するなんて考えられないことですから。歴史的な実証性よりも、いままさに生きている人々が信仰に没入しやすい表象が与えられているというわけです。(P105)

彼(ホリエモン)は東大文学部中退で、日本経済界ではいわば中堅エリートに属します。その側近だった宮内容疑者だって従来の枠組みではエリートではありません。そんな彼らが巨万の富を築けたのは、規制緩和と新自由主義的な政策が、その気になれば誰もがエントリーできるフィールドを用意してくれたからです。彼らの成功は、ゲルナーのいう<エントロピー効果>だと言えるでしょう。しかし、ホリエモンをはじめ、成功したIT起業家たちは”ヒルズ族“と呼ばれるようになりましたね。この呼称がいみじくも象徴するように、彼らは耐エントロピー構造を作ってしまったんです。(P133)

私はナショナリズムの病理を発症させる上で一番大きな役割を果たしているのが官僚だと考えます。なぜなら、”国家の実態は官僚”だからです。(P148)

佐藤:所与の状況を自明なものとして疑問を持たないというのが主流の”思想”です。私たちの目標としては、そうした”思想”にとらわれないあり方を求める。かつ、”対抗思想” – あさま山荘事件オウム真理教事件はその帰結という面がありますよね – にも、がんじがらめにならないようにするためにはどうすればいいのか。こう言っておいてひっくり返すようですが、人間は思想からは離れていけないのです。なぜなら人間には表象能力がありますから。
魚住:じゃあ、どうしたらいいんだろう。
佐藤:思想の間を移動することしかないんですよ。私たちに残されたのは。絶対的に正しいものはあってもいいんです。ただし、それは複数あるんです。しかもそれら複数の絶対に正しいことは権利的に同格なんです。(P237)

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