募金

よく勘違いされるが、僕は、別に「募金なんて、絶対しないよ」という人間ではない。

ただ、駅前とかでいい年した大人が「ご協力お願いしまーす」って叫んでいるような生産性のない募金活動が嫌いなだけである。そいつらが、その突っ立っている時間をコンビニのバイトに当てたほうがよっぽどお金は生まれる。それに、声が枯れるまで叫んでがんばって集めた 1000 円に重みなんて付かない。どんな集め方をしようが、1000 円では 1000 円より高いのものは買えないのだ。

今日も、巣鴨駅で中越地震被災者の募金活動をしている光景を見た。彼らはみんないい大人で、2 カ所ある出口の 1 カ所だけに固まって、しかも 3 人ぴったりと並んで声をそろえて(意外と綺麗なハーモニーで)叫んでいた。

まさに非効率の極みである。

たとえ募金しようと思った人間がいたとして、その人が並んでいる全員の箱に入れる可能性が高いとでも思っているのだろうか。2 カ所の出口があるならば、それぞれの出口に分かれるとか、1 カ所でやるとしても間隔を開けるとか、もっと考えることはいっぱいあるだろう。少なくとも僕には、彼らがより多くのお金を新潟の人に届けてあげようとしているようには見えなかった。

寒くなってきた。

そろそろ雪も降り出すころだろうし、新潟の人は大変だと思う。

先ほど、コーヒーのお湯が沸くまでの間『ドラえもん基金』を使って募金をした。電話を掛けるだけで 1 分間 100 円が募金されるというシステムである。このような効率的な仕組みであれば、僕は、募金するのは全然かまわないし、できる範囲で協力してあげたいなと思う。

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