微妙な読了感。ビミョーではなくて良い意味で微妙。

小学館
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この小説のひとつの特徴はその文体です。

その日僕は久しぶりに彼女に会って、久しぶりだったのに、なんだかつまらないことで気まずくなって(彼女が楽しみにしてるドラマを僕がけなした)、何となく嫌な気持ちのまま深夜家に帰ると、ポストに手紙が入っていた。

こんな感じで、文章を短く切って句点でつないでいく独特なリズムを持つ文体に最初は違和感を感じてましたが、慣れてくると意外と心地よく読めるようになりました。


ある年末。誰しもがなんとなくワクワクしている大晦日に、三人兄弟の次男である「僕」の視点から淡々と語られていく長谷川家のエピソードは、とても綺麗とはいえないけれど、すごくリアルな家族の姿をあぶり出します。

にんにくのいい匂いがして、僕はテーブルの上に大量に作られた餃子のタネを見る。我が家は正月に、おせちではなくて餃子を大量に食べる。どれくらい大量かというと、正月三が日を毎二食(トーストと決まっているし、寝坊するから朝ご飯は数に入れない)食べ続けても余るくらいの量だ。

こういう小さなローカルルールはどんな家族にもあるものだと思うけれど、とっくに大人になってしまった今の年齢になると、そんなプチルールがとても大切なもののように思えます。

僕の家には「トクベツ」と呼ばれているご飯の食べ方があって、それはご飯にお味噌汁をかけて食べるという、なんか犬のご飯みたいな品のない食べ方なんですが、小さい頃の僕と弟はその食べ方がすごく好きでした。

母親は、その品のない食べ方を見るといつも「やめなさい」と怒っていたけれど、いつだったか「今回は、トクベツだよ」といってその食べ方を許してくれたことがあって、そのときから僕たちはそれを「トクベツ」と呼ぶようになったことを、この辺のくだりを読んでてなんとなく思い出しました。そんなどうでもいいちっぽけなエピソードの積み重ねで家族って作られてるのかなとか思ったり。

この小説を読んで「泣きました!」という人も多いみたいだけど、僕にとっては泣くタイプの小説とはちょっと違いました。

ひとり暮らしをはじめたり、いくつか恋愛をしたり、背伸びしてオシャレな店にいったり、油断してちょっと怖い思いをしたり、そんな感じで少しずつ大人になっていくと、だんだん家に帰ることも少なくなっていきます。それであるときちょっと家に帰ったりすると、小さい頃は自分の世界のほとんどだった家族という存在が、なんだか随分小さく感じて悲しくなることがあります。

僕がこの小説から感じ取ったのは、いろんなエピソードを少しずつ積み重ねて作ってきた家族という存在が、時が経って、みんな大人になってしまったことで、ともすれば壊れていきそうな危うい感じがあるんだけど、一方で家族にはサクラ(犬)という家族にとっては変わらない存在があって、そのサクラを中心にしてみんなで家族という小さな存在をなんとか守っているような、そんな切ない感じでした。

あ、微妙な感じがちょっとだけ言葉になった気がする。

連休で実家に帰ってる人とかもいると思いますが、少しだけ時間をとってこの本を読んでみると、いつもとは少しちがう感じで家族のことを考えることができると思います。

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