国盗り物語

司馬遼太郎の著作はものすごくたくさんありますが、その中でも戦国ものと幕末~明治ものの数が圧倒的に多いように思います。ここ数年、司馬遼太郎の著作はわりとたくさん読んできたのですが、その中でも意識的に戦国ものには一切手をつけていませんでした。

理由は、幕末の人間は思想のために戦い戦国時代の人間は領土やのために戦う、という一方的な先入観があり、前者の方が断然好みだったからです。とはいえ幕末ものの数も限られていて、特に長編はほとんど読みつくしてしまったのもあって、ちょっと寂しくなって手に取ったのが『国盗り物語』です。

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感想からいうと、なんで今まで敬遠していたんだってくらいのおもしろさでした。幕末の純度の高い感じもいいけれど、戦国も躍動感があっていいです。2000ページ以上ある大作ですが、一週間足らずで読み終わり、読後すぐに二度目を読んだほどはまりました。

構成は大きく前編と後編に別れていて、前編は斉藤道三編で、後編は織田信長編になっています。特に後編は、織田信長編というよりは明智光秀編じゃないかと思うくらいに明智光秀という人間が丹念に描かれていて、アツいです。

僕の中の明智光秀といえば、相変わらずの教科書知識しかなく、織田信長を殺したただの裏切りものってだけイメージでした。が、実際に読んでみると、ものすごい美しくて、悲しいひとじゃないですか。本能寺の変にいたるまでの経緯を思い返すと、悲しくなって涙が出てくるほどです。確実に明智光秀像が変わりました。

さて、本書の主題は最終巻の解説にすばらしい一文があり、そこに集約されています。

… 明智光秀は斉藤道三の分身である。彼は、斉藤道三から古典的な教養の面をうけつぐ、そして歴史とか伝統とかいうものに深い関心を持ちながら、一方では天下に対する野望を抱いている。彼のその伝統に依拠する姿勢が正統的であるゆえに、そこに悲劇がはらまれている。

明智が道三のその一方の分身であるに対して、いま一つの分身がある。それが娘婿の織田信長だ。彼には、道三の戦争や政治における奇略と決断がうけつがれる。そしてそれが一つの独創性となり、歴史や伝統を打ち破る力ともなっていく。 — 国盗り物語(四) P714

ここがすばらしい。

斉藤道三という、もうスーパーマンのようなすごい人間の才能を、織田信長・明智光秀というふたりの人間がそれぞれ受け継ぎ、そして同時期にふたりとも死んでしまう。

物語として、すばらしくまとまりが良くて、そこがなんともいえない読後感につながったように思えました。時代背景的にも読みやすさ的にも、戦国時代に入門するのに最高の一冊だと思います。

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