会話文の終わりの句点について

小説とかを読んでいて疑問に思ったことがあったので、ちょうどサインインしていた文系の後輩(シンガポール帰り)にメッセンジャーで聞いてみました。


抜粋(一部読みやすいように編集)

kano の発言 :

「」の最後って、句点が入らないものなのですか?

kano の発言 :

わけのわからない質問でスイマセン。(笑)

後輩 の発言 :

「」。 ・・・という状態ですか?

kano の発言 :

いろんな本を見ても「」の最後の句点は省略されているように見えたので

後輩 の発言 :

「・・・。」 ・・・という状態ですか?

kano の発言 :

あ、そっちです。

後輩 の発言 :

「彼の名はドラえもん。ネコ型ロボットである」

「彼の名はドラえもん。ネコ型ロボットである。」

後輩 の発言 :

この違いですよね。

kanou の発言 :

そうそう。小説とかで見ると、ほぼ前者で書かれているように見えたので、そういうルールがあるのかなと。

後輩 の発言 :

そういえば、確かに。

後輩 の発言 :

私見ですが、”」”が使われるばあい、そこで文が終わることは確実なんだから、句点はつけなくていいとしているのでは。

kano の発言 :

はー、なるほど。

後輩 の発言 :

“」”が句点の意味も併せ持ってるなら、”。”は必要ないですよね。

kano の発言 :

ふむ、確かに。

kano の発言 :

ということは、「彼の名はドラえもん。ネコ型ロボットである。しかしながら、耳はない」という文章は、

kano の発言 :

/「彼の名はドラえもん。/ネコ型ロボットである。/しかしながら、耳はない」/

kano の発言 :

という風に区切られるということですね。

kano の発言 :

/「/彼の名はドラえもん。/ネコ型ロボットである。/しかしながら、耳はない。/」/

kano の発言 :

こうだと思っていたので、文単位で最後に句点がある方がキレイに見えてたのですが。

後輩 の発言 :

あ、ネットで一例を発見。

後輩 の発言 :

のび太曰く、「彼の名はドラえもん。ネコ型ロボットである。しかしながら、耳はない」。

後輩 の発言 :

という一文があるとして、

kano の発言 :

はい。

後輩 の発言 :

のび太曰く、「彼の名はドラえもん。ネコ型ロボットである。しかしながら、耳はない。」

・・・のように、”」”と”。”の位置を逆転させて書く人もいるようです。

後輩 の発言 :

文末に “」”がくる場合、ですね。

kano の発言 :

ふむ、なるほど。

後輩 の発言 :

この方法で書く場合も考慮すると、”」”の前にある”。”は、”「」” 内部の文を閉じているのか、文章全体を閉じているのか、判断しにくくなりはしますまいか。

kano の発言 :

つまり、それぞれの文章の終わりを示すのか会話文の終わりを示すのかわからん、てことですね。

後輩 の発言 :

はい。

kano の発言 :

個人的には、そういう点も考慮して、

「彼の名はドラえもん。ネコ型ロボットである。しかしながら、耳はない。」

が、やっぱり一番キレイだと思うのですが。

後輩 の発言 :

俺も、すべての位置に句読点を打つ派です。

のびた曰く「彼の名はドラえもん。ネコ型ロボットである。しかしながら、耳はない。」。

、が最強かとかんがえます。

kano の発言 :

最後の句点を略してるのは、要するに “」” に二つの役割を一緒に持たせてるというわけですよね。

kano の発言 :

“」” の責務が増えすぎてキレイではないと思います、などというのはオブジェクト指向にかぶれすぎでしょうか。

ということで、会話文の終わりの “。” も省略しない方向でこれからも書いていくことにしました。

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