世にも美しい日本語入門

ここ数年、言葉について考えることが多いです。

特に本書を読んでからは、「日本語をしっかり勉強しよう」「できるだけ名文に触れよう」という気持ちがますます強くなりました。

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本書は『世にも美しい数学入門』と同様に対談形式をとっている本で、とても読みやすいです。内容は一貫して「日本語は美しく、豊かである」ということについてで、文学に造詣の深いふたりの先生が、古文、童謡、俳句など、さまざまな文章を引用して、日本語の美しさを語っています。

最近よく思うのですが、「言葉にする」という作業は、頭で考えているだけのまだ形のないモヤモヤっとした状態を、すでに世の中に定義されている言葉と対応させるってことですね。そしてこれは僕だけかもしれませんが、モヤモヤがいったん言葉に対応づくと、脳は、その言葉の定義をファクトとして受け入れていくように感じます。

例えば、だれかに頭に来ることをいわれたときのムッとした感情があります。ムッと思ってる状態では、まだその感情に輪郭はありませんが、それを単純に「むかつく」とか「あいつ嫌い」という言葉にした瞬間、その人は「むかつくことを言ったやつ」として脳が受け取るように思います。そしてたいていの場合、それ以降もそのひとは「むかつくやつ」として認識されちゃいますね。

しかし、同じことを言われても「僕はこの人にこういうことを言われると、安定した心理状態が保てない人間みたいだなぁ」という言葉で考えたりすれば、ちょっと客観的に状況を見れるようになる気がします。

恋愛とかは逆ですね。「僕はこの人といると、心地いい心理状態が続くタイプの人間らしい」なんて言葉を対応づけても興ざめです。「ずっと一緒にいたい」とストレートな言葉に対応づけることで、ふたりは馬鹿になれるわけです。

そういう意味で、日本人はめぐまれているようです。なぜなら、日本語は他の言語に比べてもダントツでたくさんの語彙を持つ言語だからです。たくさんの語彙を持っているということは、それだけたくさんの情緒をもてるということですね。

美しい日本語に触れないと、美しく繊細な情緒が育たない。恋愛さえままならない。文学に一切触れず、「好き」と「大好き」くらいの語彙しかない人間は、ケダモノの恋しかできそうもない。愛する、恋する、恋い焦がれる、ひそかに慕う、想いを寄せる、ときめく、惚れる、身を焦がす、ほのかに想う、一目惚れ、べた惚れ、片思い、横恋慕、初恋、うたかたの恋…など、様々な語彙を手に入れ始めて恋愛のひだも深くなるのである。

P10 「まえがき」より

まあ、きょうび「横恋慕」はさすがにどうかと思いますが(笑)、でも言ってることはよくわかります。近頃は、洋服を見ても花を見ても犬を見ても「カワイイ」しかいえないひとが多いらしいですけど、これも全く同じ問題ですね。極端な話、それだと脳が「かわいい」「かわいくない」程度の感情しか持てなくなるということです。寂しいですね。せっかく微妙な感情まで表現できる言葉を持っている民族に生まれたのだから、日本人同士、微妙な感情のニュアンスも伝えあいたいものです。

あれ、なんか話ずれました。

無理矢理に本の話に戻ると、主題とはちょっとずれるんですが、次の箇所も印象深かったです。

日米露などは、武力で日本を植民地化しようと思えばできたかもしれない。でも、江戸の町で本の立ち読みをしている庶民がいるのを見て、「この国はとても植民地にはできない」と思ったという話があります。当時の江戸の識字率は50%と言われ、最先進国の首都ロンドンの20%に比べても、圧倒的でした。

P70 「日本語は豊かな言語 」 より

文章に触れているというのは、文明度の証でもあるようです。


さて、いろいろ影響されやすい僕は、本書読了後、妙に素読というものがしたくなったので、『論語』をポチッとしたのはいうまでもありません。

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