脳の中の人生

4月は脳強化月間だから買ってみた。初めての茂木本(ていうのか?)

何かの連載を本にした感じの体裁で、2ページぐらいの小話で構成されてるので、とても読みやすい。

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ステータス

読了(2006/04/26)

ひっかかったセンテンス

ところが、近年の研究により、背外側前頭前野皮質は、実は、やさしい判断をくだしているときのほうがより活動的であることが明らかになった。用いられた課題は、写真を見てそれが「人の顔」か、「家」か、を判断するというものだった。実験の結果、一目見てどちらかわかる場合の方が、写真にノイズが加わって不鮮明になり、苦労して判断しなければならないときよりも、司令塔の活動は高まっているということが示されたのである。(P102)

簡単な問題をたくさん解く脳を鍛える系は、この辺の実験結果に基づいていたのかな。

この言葉、もともとは造語である。発案したのは、一八世紀にイギリスの首相をつとめたロバート・ウォルポールの末息子、ホラス・ウォルポール。(P126)

セレンディピティの語源の話。ペルシャに伝わる古い童話『セレンディプの3人の王子たち』の中で出てくる王子たちが、旅を続ける中で、求めてるわけではないのにたびたび幸運に出会ったことから、ウォルポールセレンディピティと名付けたとのこと。ちなみにセレンディプとはスリランカの古称らしい。

人間は、一生学び続けることができる存在である。自分がぎこちない、と感じるような新しいことにチャレンジし続けなければ、せっかくの脳の学習能力を生かすことはできない。いい年をしてみっともない、などと思わずに、ぎこちなく惑っている自分を楽しむくらいの心の余裕がなければ、脳の潜在的学習能力を生かし切ることはできないのである。(P148)

よく言われる言葉だけど、脳科学の観点からいわれるとその気になっちゃうところが弱いです。

「オックスフォード大学を出た人間は、世界が自分のものだと考える。ケンブリッジ大学を出た人間は、世界が誰のものでもかまわないと考える。」

オモシロ。東大と京大みたいな感じかな。

新しいものを生み出すということは、過去の体験を思い出すということの一つの変形である。(P167)

少年時代、草野球をやっていて、試合に負けて悔しかったときも、「ルールだから仕方がない」と自分に言い聞かせてることが、どれほど教育的なことであったか。当時はそんなことは思いもしなかったが、時に情念が暴走する現実世界の有り様を見ていると、スポーツの「発明」が人類にとってどれほど素晴らしい福音であったかと改めて思う。(P185)

「日本語」が特殊なのではなく、「同じ文字を二通りに読む言語」、あるいは「四種類の文字がある言語」が特別なのである。このように主語を置き換えてみれば、議論が開かれたものになる。(P209)

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