今年三度目の京都。まだ2月末なのに結構ハイペースだ。
これだけ頻繁に行ってると、だんだんとお寺や神社・通りの名前とかを聞いたとき、なんとなく位置がイメージできるようになってくる。まだまだ全然なのだが、ちょっと詳しい人ぶれるようになってきた😆
それと、これまで本当に全然気にしていなかったのだけれど、日本史とか古典にも京都の地名がよく出てくることに気づく。さすがずっと日本の中心だっただけはある。たとえば〈銀閣寺から花の御所まで籠を走らせた〉という記述があれば、今出川通りを西に進むようなイメージが頭に浮かび、まあまあ遠いよなあと体感として感じられるようになって、ますます楽しくなってきている。
関係ないが、つい先日は、知り合いから「えっ、京都好きなのに名探偵コナンの『迷宮の十字路』を見てないの?🤷🏻♂️」といわれ、いい歳のおじさんにもかかわらずDVDまで購入してしまった始末である。
さて、最近は室町時代に興味がある。
はっきりとした理由はないのだけど、京都の京都らしさ(と自分が感じているもの)が室町時代に成立したような気がするのだ。根拠はまったくない。まあとにかく、そんな文脈で自然と足利義政に行き着き、彼を描いている物語を探していたらたまたま『銀閣の人』という小説を見つけた。
これがとてもおもしろくて、一気に読んでしまった。
足利義政の印象がだいぶ変わった。
これまでのイメージは、応仁の乱をおさめられず京都を火の海にして、にもかかわらず文化的なことにうつつを抜かし銀閣寺を造った人、くらいのイメージだった。それは実際その通りなのだけど、彼の性格やそういう決断をするまでのコンテキストを知ると、義政にめちゃくちゃ共感してしまい、一気に好きになってしまった。(単純)
銀閣寺といえば、教科書に載っている観音堂が有名だが、小説の中でたびたび取り上げられていた東求堂については恥ずかしながらまったく知らなかった。
実際、5年前くらいにも長男をつれて銀閣寺に訪れた記憶があるが、東求堂の記憶はまったくない。実際、東求堂の写真は一枚も残っていない。大事な国宝を完全にスルーしていたようだ。
そんな感じだったんだけど、本書を読んで、東求堂こそが義政がもっとも造りたかった建物ということを知り、今回は東求堂の前でたっぷり20分くらい時間を使い、読んだばかりの彼の生涯と東求堂への想いを思い出し、ゆっくりと味わった。とても豊かな時間だった。
そんなこんなで銀閣訪問でだいぶお腹いっぱいになっていたのだけど、三泊四日で時間もあったので、せっかくなので有名な仏像でもいくつか見ておくかと思って広隆寺の弥勒半跏思惟像と禅林寺(永観堂)のみかえり阿弥陀を拝んできた。
昔は、というかつい最近まで、お寺や仏像にはまったく興味がなかった。せっかく京都に行ってるんだからと、根気強くいろいろ勉強したらだんだん好きになってきた。お寺とか仏像とかを好きになると(特に京都では)見たいものが無限に出てきて人生が少し楽しくなる。これは美術にも同じことがいえる。
もはやどこからどうみても中年という年齢になった。これからは頭も身体もだんだんと元気がなくなってくると思うけど、お寺や仏像、美術を楽しめるようになっておけば、老人になってもずっと楽しめる趣味となるだろう。これは何気に人生後半を豊かに過ごすためのライフハックだと思っている。
写真は SmugMug で。
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