間違いなく無駄ではないという安心

お彼岸である。今回は日曜日の朝早くにお墓参りに行く予定だ。

年齢的な問題かもしれないが、最近はお墓参りがぼくの中では非常に大切な位置を占めている。年齢相応の常識を身につけなければという義務感も少しある。しかし一番大きいのは、墓参りをしたときに感じる安心感を得られるからだったりする。

仕事をする。勉強をする。友達と話す。家族や恋人とふれあう。趣味に興じる。なにもしない。

生きてゆく上では様々な行動がある。自分が正しいと思ってしている行動でも、それが本当に正しいことかなんてことは誰にもわからない。よかれと思ってしている行動も、外部から認められなかったり、誤解されたりすることもあるだろう。この、行動に確信を持てない、というところが、人生のおもしろさであり、逆に不安を感じるところでもあるわけだ。

ただ、(僕の場合は)お墓参りをしているときは別だ。数ヶ月に一回、先祖のお墓に水やお花をあげたり、掃除をしたりする。そのときは、確実に安心感というか落ち着きというか、安定感を感じるのだ。すごく計算じみた言い方をすれば、少なくともここで過ごしている時間は「確実に無駄ではない」と感じるのである。

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