座右の諭吉

実家のトイレには「福沢諭吉訓」という紙が貼ってある。いつから貼ってあったかよく覚えてないが、中学の頃にはすでに貼ってあった。トイレに入るたびに見たくもないのに目に入るので、一字一句すっかり暗記してしまったほどである。

世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つこと
世の中で一番惨めなことは教養のないこと
世の中で一番寂しいことは仕事のないこと
世の中で一番醜いことは他人の生活を羨むこと
世の中で一番尊いことは人のために奉仕して決して恩に着せぬこと
世の中で一番美しいことはすべてのものに愛情を持つこと
世の中で一番悲しいことは嘘をつくこと

おそらく母が貼ったのだと思うのだが、「毎日読め」とか「実践しろ」といわれた覚えはない。ただ単に貼ってあっただけである。それなのに丸暗記してしまっているあたり、母の策略に上手く乗せられた感もある。

中学・高校の頃は、毎日トイレでこの紙を見るにたびに「きれいごとっぽくて、かなり嫌いッス!」と思っていた。中学生なんて、女の子とゲームのことしか考えていないので当然である。そして、そのトバッチリはそのまま福沢諭吉にまでおよび「んだよ、諭吉とかいって、ただのモヤシっこのくせに。ペンよりも剣のが強いっつーの。」みたいな幼い反感すら覚えていたほどだ。

そして、そのまま大人になった。

ひとり暮らしが長くなって実家にほとんど帰らなくなったせいもあり、福沢諭吉のことなんてすっかり忘れていた。

ちょうど去年の今頃、『花神』を読んだのをきっかけに幕末小説にハマった時期があった。そして、いろんな小説のあちこちに忘れ去られていた福沢諭吉が登場したのである。

それまで僕の中の福沢諭吉は、明治の学者っぽい一方的なイメージがあったので、まず彼が武士だったことに驚いた。偏見もいいとこである。さらにいえば、彼は学問だけの学者とはほど遠い、いわゆる実務家であった。慶応大はもとより、丸善書店も彼が創設したものである。性格も、モヤシっこどころか、清廉潔白で極めて明るく、さらに頭は抜群にキレる行動家という、むしろ尊敬すべきキャラだったのだ。

もっと詳しくどんな人間だか知りたくなった当時の僕は、家のすぐ近くにあった習志野市民図書館に行って『福翁自伝』や『学問のすすめ』を読んだ。特に『福翁自伝』にはとても感銘を受け、別途購入までしたほどである。

さて、すっかり余談が長くなってしまったが、本書はその『福翁自伝』から引用した文章に著者がコメントをつけ、現在にも通用するその生き方・考え方を解説した本である。

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福沢諭吉の一番特徴的な考え方は、そのカラリとした性格だと著者はいう。このカタカナの「カラリ」という湿り気のない精神のあり方こそが彼の性格の本質であるのだ。

日本社会には、人間的な成長のためにグズグズ悩むことをよしとする傾向が強くあったように思う。

(中略)

青年期の彼がナーバスな感傷や自分探しの代わりに何をしたかといえば、カラリと晴れたあの精神のままに、ただ勉強をしていたのである。人生にグズグズ悩む暇があるならもっと勉強すればよかったのだ。

もういまの時代、”精神的に不安定”であることと “精神性が高い” こととをイコールで捉えることはやめてしまっていいのではないかと私は思う。悩みすぎることは単にエネルギーの消耗しか生み出さない。

その極めて合理的で勤勉な態度は、見習いたいところである。

著者の斉藤孝は『三色ボールペンで読む日本語』や『声に出して読みたい日本語』で有名な人だ。この人の書く文章はとても読みやすいのでオススメである。

現在社会のとてつもなく大きなパラダイムシフトを幕末のそれに喩えて論じる人も多い。そんな幕末の動乱期を「カラリ」と成功してきた福沢諭吉の生き方や考え方を頭の隅に置いておくことは決して無駄ではないなと感じた。

母がそこまで福沢諭吉のことを知っていて、すべて考え抜いたうえでトイレにあの紙を貼った、などとは到底思えないが、彼の生き方や考え方を理解した上で、もう一度トイレのあの訓辞を読んでみたら、なかなか味わい深いものがあるに違いない。

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