佐賀藩士・江藤新平の生涯を描いた小説。

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江藤新平は幕末を生きた人間であるが、幕末の頃はほとんど目立たない。しかし維新後、江藤はたったの 4, 5 年で政府の最高職である参議まであっという間に駆け上がった。

明治になり日本が全く新しい国に生まれ変わるために、時勢が彼を押し上げたのだ。

江藤は世界中の先進的な法律や体制をいち早く吸収し、その卓抜した論理と天才的な実務能力をもって維新後の日本の制度を次々と確立させていく。

しかしその勢いも長くは続かず、数年後に征韓論をめぐって大久保利通らと対立し、ついには故郷の佐賀で蜂起して、結局は政府軍に鎮静されてしまう。

とても印象に残っている場面がある。

政府軍にやられた後、江藤を含め数人が土佐を頼って四国の伊予・宇和島に逃げている場面である。江藤らがいくら僻地に逃げようが、網のやぶれめもないほどに精密な警察網が手配されていた。そして皮肉なことに、その警察の制度や体制を整備したのは他ならぬ江藤新平自身であった。

僕ならば後悔するかもしれない。自分自身が作った体制と制度のせいで捕まりそうになっているのだから。しかし、彼にはそんな発想はなく、むしろ自分自身が作った作品に満足しているかのようである。

「日本も大した国になった」
と、江口村吉をかえりみて、小声でいった。べつに負け惜しみではなく、それどころか愉快がっている気配すらあった。江藤にいわせれば、封建時代の行政は諸藩の藩領や天領が入りみだれ、それぞれが壁になって中央の指令などは、容易にとどくものではなかった。維新によって中央集権国家が誕生し、それでもなお司法と警察制度が遅れていたが、それを私は苦心のすえ集権化をなしとげた。いまその自分の業績の効果を、自分自身がこの土佐の山中でたしかめているような思いがする、といった。

そんな一見強そうな江藤ではあるが、驚くことに、読めば読むほどどこか悲しい。悲しくて仕方がない。それは彼が大久保利通のような悪魔的な謀略を持った人間ではなく、ただただ良い日本は自分が作るという使命を強く持ったピュアな理想家・情熱家だったからかもしれない。

最後の裁判の場面では、大久保利通らの政治的な謀略により江藤に対して晒し首という屈辱に満ちた最悪の判決が下される。法も司法もあったものではない無茶苦茶な判決である。

江藤はその屈辱的な判決に愕然とし、

「裁判長、私は…」

としか発言することができなかったそうだ。そしてそれが、日本史上稀代の雄弁家の、記録に残っている最後の言葉である。


目をつぶり、たった今読み終えたばかりの江藤の人生をもう一度頭の中でなぞってみる。

そこには 700 ページもある小説の大半に描かれていた強く有能な江藤の姿は驚くほど浮かばず、ちょっとした場面で垣間見た弱く悲しい江藤の姿ばかりがくっきりと浮かんでいる。

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