あと3年で世界が終わるなら、何をしますか。
「8年後に小惑星が落ちてきて地球が滅亡する」と発表されて5年後。犯罪がはびこり、秩序は崩壊した混乱の中、仙台市北部の団地に住む人々は、いかにそれぞれの人生を送るのか? (出版社による内容紹介)
これだけ読むと結構ありがちな話のように思いますが、終末までに「3年」という長い時間を設定しているところが、この手の話の中では一線を画しており、物語全体をとても面白くしているように思います。
内容紹介にもあるように、物語の中で地球の滅亡が発表されたのは8年前。
発表された直後、当然のように人々は乱れ、殺人や強奪があたりまえの世界になります。しかし物語の舞台になっている3年前では、混乱は一度沈静化していて、逃れられない終末を心の底に抱えながらも、残りの期間をどう過ごすかを登場人物たちは必死に考えます。
- 終末のフール
- 太陽のシール
- 籠城のビール
- 冬眠のガール
- 鋼鉄のウール
- 天体のヨール
- 演劇のオール
- 深海のポール
という、韻をふんだオシャレなタイトルで描かれる8つの話の登場人物は、10代の高校生から50代のオッサンまでいろいろなのですが、いかにも伊坂幸太郎らしい考えられた構成で、それぞれの物語が微妙につながっていくので、読者はメタな視点で全体を俯瞰させられます。なので、読後、8つの話とは別で、もうひとつ大きな9つめの話が強烈に頭に残ったような感覚になりました。
「鋼鉄のウール」に登場する苗場さんとかは、わかりやすくかっこいいですけど、他にも「太陽のシール」の優柔不断な夫や明るくて頭のいい妻、「冬眠のガール」に出てくる主人公の高校時代の家庭教師や「深海のポール」の偏屈な親父もみんな素敵です。
個人的に8つの物語の中で一番印象的だったのは、「太陽のシール」で描かれる夫婦の話でした。あと3年で地球が滅亡するのがわかっていて、生むべきか、生まないべきか。
それはたぶん、それぞれの登場人物が「明日死ぬとしたら生き方が変わるんですか?」という問いに対して、それぞれの強さ・弱さを引き受けた上で「変わらない」と答えられるような強さを持っているように感じたからだと思います。
伊坂幸太郎の小説はどれも洗練されていて大好きですが、さっくりと魅力を味わうには本書はうってつけの一冊だと思います。
切り抜き
「許すとか許さないとか、そういうんじゃないんですよ」わたしはこの四年間ずっと考えていたことを口に出す。「たとえば、桜が春の短期間しか咲かないからって、誰も、『許さん』とか怒らないですよね」
「桜は、そういうもんだからな」
「それと同じ感じなんですよ、なんか」わたしは言う。「お父さんとお母さんは死んじゃった。でも、そういうもんなんですよ、きっと」
「超越してる感じだ。お前は超人だ」
「あ、それ読みましたよ、超人」
「キン肉マンか?」
「何です、それ。ニーチェですよ」
「あ、そう」(P144)
「苗場君ってさ、明日死ぬっていわれたらどうする?」俳優は脈絡もなく、そんな質問をしていた。
「変わりませんよ」苗場さんの答えはそっけなかった。
「変わらないって、どうすんの?」
「僕にできるのは、ローキックと左フックしかないですから」
「それって、練習の話でしょ? というかさ、明日死ぬのに、そんなことをするわけ?」可笑しいなあ、と俳優は笑ったようだ。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」文字だから想像するほかないけれど、苗場さんの口調は丁寧だったに違いない。「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」(P180)
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